
Ritchie Blackmore関係者に聞く、スペシャルインタビュー?????
今、禁断の事実が明かされる。必見緊急取材のページ
司会−司:エーパン−エ 最終更新日 00/06/30
司「やっとこのインターネットサイト:Ritchie Blackmore師匠の部屋も落ち着いてきたようですね。」
エ「ぎゃははははは!やってしもうた。一部大恥さらしだがね、結構雑だけど。念願の公開ができて嬉しく思ってるよ。アイデアソースは25年前からあったんだけどね。駆け足人生だしチャンスも手段も無かったわけだよ。」
司「なるほど、で、どうして今作成−公開−しようとしたわけですか?」
エ「いい質問だね。私はモデムが300ボー時代からPCによる通信手段は持っていたんだけど、当時から現在までPC通信、俗に結うPC-VANとかNiffy、それに海賊ローカルBBSみたいのしか無かったんだ。BBSは知ってのとおり文字だけで、同好者達がワイワイやってんだが、時として文字列だけのやり取りってことで問題も多かっただろ。?ひとの揚げ足取りやボード上での喧嘩、酷いもんだよ。他人同士のやり取りを読まされるだけでも酷いもんさ。ひとの情報を頂くだけならいいだろうけどね。とにかく自由なコミュニケーションではなかった。自分からの発信がずっと残るものでもないしね。」
司「なるほどそうですね。それがまた?」
エ「それが今ではどうだ。誰でも簡単にインターネットを使えるじゃないか。そのメディアに触れたときこれだと思ったね。インターネット上に Ritchie ファンが沢山居たのも刺激的だ。やっておかないといけないと思ったんだ。其々にRitchie Blackmoreとの交わり方があるように、私の人生においても固有の触れ方、捉え方があるんだ。その形を残したかったんだ。それに未来永劫 Ritchieとの関わりを寸分違わず覚えておく事は出来ないと感じだしたしね。自己表現のページを、現在自分が存在している証として個人のホームページをを持っておく事は、いい事だと思うよ。来たい人だけくればいい、いやなら別の処がいくらでもあるだろう?。」
司「自由に編集できますしね。」
エ「そうだ。気付いた事や思い出した事からどんどん書き足していくといい。私はいつもそうだ。25年以上経つんだぜ、全部を一遍になんて書ききれないさ。最初から完璧な設計図は書けないのさ。ミュージックも同じだろ?。」
司「リアルタイムな日記とは違うと?」
エ「実際にはもっと沢山の事柄があるし、思い入れもあるさ。更新してる最中はその時代に帰ってる自分が居るわけなんだけど、これが結構心地いいんだ。一瞬でも昔に帰れる。振り返るってのはタブーと考えてた人生だけどね。ここを作っていくとそうなってしまったんだ。もちろん Ritchieは過去に囚われない音楽をやっていくだろうけど、俺たちは自由な選択ができるわけだろ?昔の曲をカヴァーしてもいいし、ニューアルバムを期待するのもいい。サイトも同じさ、昔を書き連ねるのもいいだろうし、これからの事を書いてもいい。双方向の意見を開示してもいいじゃないか。なんでも出来るさ、ミスでも多少許されるだろ?」
司「気楽でいいと?」
エ「そういうことだ。アマチュアだからね。レコード会社に気を使わなくてもいい、そういうことが情報発信にも当てはまるし、個人のホームページにもいえるね。多少は無責任でいいわけだ。そう考えると気が楽になった。最初は備忘録として残すつもりだったんだ。それに、もしもの事故などで俺が死んでもサイトは残る。女房、子供への遺産だな。親父はこんな事してました。とにかく追っかけか何か判らないけど、一生懸命さや直向きさを残せるだろ。それを感じ取ってくれればいいさ。」
司「わかりました。では次の質問に入りますね。振り返らせる質問で恐縮ですが、あなたは最初にGuitarを触ったのは中学生だったのですか?」
エ「ああ、エレキはね。ただ、家が商売をやっていてね。その雇人がガットギターを持っていた。そのギターでドレミを覚えたのは確か10歳頃だったよ。だから13歳まではドレミしか弾けなかったよ。中学生になって同じ部の先輩ん家へ遊びに行ったときだね、初めてエレキに触ったのは。以降のバンドでのリーダーなんだけどね。ハニーっていうメーカーの黒白でリッケンバッカーもどきのスタイルだったよ。そいつがGRECOのSGモデルとかレスポールモデルとか持ってた。そのSGを中古で売ってもらったんだ。」
司「赤いやつですね。」
エ「そうだ。ツレのフォークギターを触る機会もあったけど、そのストリングステンションは弾けなかったんだ。硬いだろ、コード覚えてる最中なのにフォークギターは駄目だね。柔らかいテンションでフォームを覚えるのが先決だと思ったよ。」
司「それはありますね。で、中学生時代の思い出というと?」
エ「ああ、適当にコードフォームを覚えたあたりで事件があったよ。」
司「事件というと?」
エ「それまでの音楽成績というと平均か、それ以下だったんだ。友人と二人で「死んでもいい:沢田研二」を実技試験でやったんだ。そいつがオルガンでメロディーを、音楽室のガットギターでコードとオブリガードを俺がやって10点満点くれたんだ。みんなリコーダーとかピアニカしかやらない教室でね。厳しい先生だったんだけど驚いたよ。それからだね、勘違いしている自分が出来上がっていったんじゃないかな(笑)」
司「そうなんですか?誤解で始まってるんですね。 他には。」
エ「初めての舞台は15歳だけど、大勢の前に立つってのは、幼稚園時代の「おおきなカブ」「狐の嫁入り」以来の出来事だったし、感受性も豊かになる時期だし羞恥心が出来る頃だったから、とにかく恥ずかしかった記憶だ。」
司「はい。」
エ「町内会のイベントなんだが、狭い町だから全員が身内みたいなものなのさ。音楽がどうだというより歓声がすごいんだ。やってる事は二の次でね。終わると病みつきになる快感がある。そのまま高校生になっていくわけだ。」
司「それがきっかけで、どこでも出たがり病になったわけですね。わかりました。(笑)」司「エーパンさん、今WOWOWでお天気姉さんやってますよ。TVつけときましょうか。パチ!。高校生時代というと不良という図式が思いつくんですが、音楽以外はどうだったのですか?」
エ「ああ、誘惑にはこと欠かないね。通学は田舎から都会への毎日だったし、駅周辺は不良にはもってこいの場所や情報があるしね。でも音楽活動やってるお陰で気に留めなかったんだ。興味も湧いてこなかった。終業と同時に帰宅電車までダッシュの毎日だったからね。練習の無い日は駅地下のレコード屋か本屋さんが徘徊場所だったんだ。とにかく友達にも恵まれていたよ。本当に悪いやつは居なかった。今みたいなイジメや犯罪行為は無かったしね。」
司「社会全体がそうだったというわけですね。」
エ「そうじゃなくて、ギターを弾くとか、バンドを組んでるとかというのが、学校社会から見ると不良だったんだ。学生の分際でギターなんぞ弾いてる。おかしいだろ?。想像してみろよ。コンテストで優勝してみろよ、家族みんなで祝う現代とは大違いさ。ギターを持つイコール不良への前兆と映ってる社会だったんだ。ごく最近?になってイカ天とかアマバンドのTV番組とかあったろ?その前後くらいかな、様子が変だと思い始めたよ。古い付き合いの楽器屋で聞いたら、{最近はねぇ、親が連れてくるんですよ〜この子を不良にしたくないから、ギターでも始めさせようと思うんです〜}って言う親がいるんだそうだ。(爆笑)」
司「ははは、それは面白い変化ですね。じゃあ典型的な不良だったようですね。3年間ずっと同じ生活だったんですか。・・・・・あ、、先生! じゃなくってエーパンさん!!ねぇ!」
エ「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、、、、???すまん、お天気ねぇさん、いいところ、シ〜〜〜〜〜〜〜、、、」
司「(恥)・・・・・・・・・あと・・」
エ「あ、、その他ね。1年生でバイクの免許取ったよ。360ccのバイクでコースぐるんと廻れば免許くれた。限定なんて無い時代だからね。親父にはこれといって強請った事無かったんだけど素直にバイクだけは買ってくれた。ハスラー400っていう短気筒のバイクを乗り廻していたね。近所のバイクやへ月賦で払ってたよ。今に思えばこの時親父は38歳だったんだよ。。彼はちゃんと仕事をしていたと思う、今の俺より若いぜ。ありがたく思ってるよ。」
注意:おやじさんは生きてます。
司「バイクというのは典型的な必須アイテムだったらしいですね。」
エ「そうだ。ローカル唯一の移動手段だからね。自分の非力さを埋めてくれる鉄の馬さ。小心なところも癒せる部分もあるしね。何より行動範囲が広がるじゃないか。」
司「楽しい事ばかりでしたか?」
エ「バンド仲間との行動が生活の殆どだったな。音楽以外の行動でも一緒、海も山も。当時のアルバムはいつも同じメンバーだよ。」
司「話飛んでません?
エ「え?飛んじゃないだろう。バイク・・・バイクじゃなかったのか。ああ、ギターね。出会いのコーナーで書いてるけど当分はROCKやってたよ。DPのカヴァーとか、FREE、CREEMやMOUTAIN。刺激的だったのはFREEなんだ。教えてやろうか、FREEはRitchie絡みで噂になったVOCAL候補がいた。あのポールモーリア、? ちがうな。ポールロジャース率いるバンドだよ。デビュー当時の彼らの歳しってるか? 驚くなよ、16歳なんだぜ。俺らと違わないじゃないか。そう思ってたんだよ。十分刺激的だった。サウンドもエキサイトしたしね。」
司「ポールは知ってます。奥さん日本人ですよね。後でTVドラマ「夜明けの刑事」の主題歌歌ってましたよね。」
エ「かなり知ってるね。」
司「はい。エーパンさんのこと勉強してきましたから。」
エ「じゃあ、あれこれ聞くなよ。]
司「そういう問題じゃないでしょ・・・(苦)」
エ「それに俺が知っているFREEは山内テツっていう日本人ベースが入ってからなんだ。だからアルバムは逆送で聞いていたんだけどね。日本人がやってる世界アルバムっていうんで親近感が湧いていたからね。FREEの曲はどれもストレートで分かりやすかった。ゆったりとしてカヴァーも楽だし雰囲気も出せた。DPに比べるとクイックさは無いしテンションも無いけど、とにかくバンド初期にはハマったね。いきなりSpeedKingやHighwayStarは無謀だったわけだよ。バンドとしてのスキルUPがまず最初だからね。他のバンドも同じ理由なんだけど最近Ritchieが{MOUNTAINを聞いていた}と知って凄く嬉しかったよ。。(涙)」
司「そうですね、レスリーウエストも健在ですし。」
エ「レスリーはスピーカーなんだけど、君、仲代けいこ−どう思う?水谷ケイのキャラクターじゃ違うと思わない?」
司「WOWOWですか・・・はい。そっちはわたしの専門ですから。違いますよね!。絶対違います。お天気姉さんはこうじゃないです、これじゃ原作ぶち壊しです。」
エ「わっはっは。君も判ってるねぇ。でも消さないでね。」
司「はいはい・・・」
エ「わかればよろしい。。」
司「先生、、エーパンさん。今日はありがとうございました。続きは明日ということでよろしいでしょうか?。先生!!! 聞いて下さいヨ!!(激怒) 明日またきますからね〜〜」
エ「−−−−−−−−−−−凝視黙考」
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