

★感動の生出演
1997/10/30 初来日&TV初登場、驚きの記録はこちらです。
1997/10は、Blackmore'S Night初来日強化月間です。
Richie Blackmoreと私。その1
幼年期 銘々「じゅりぃ〜〜〜〜〜〜〜!!」
◇あれは、13、か14歳の多感な時期だったろう。格好良さだけで始めたギターは2年目を迎えてた頃。。小学校時代よりグループサウンズばっかり聞いていた私には、当然のように(本人にしては)中学校へあがるとエレキギターを強請ったものだった。拓郎、陽水、泉谷等ニューミュージックの台頭が盛んな時期にも関わらず「沢田研二」の曲からギターコードを覚えていったのも、きっと「ザ・タイガース」ファンだったからかも。元来我が家の家系は音楽というものに縁が無い。新たな風でも吹き込めればいいとでも思ったのか、この長男は「あほぉめ」と周囲から怒られようが学業、試験そっちのけで見事にハマっていくのである。丁度、先輩達がグループを結成したいというので誘われたのも要因かもしれないし「格好よくなって人気者に」というギタースケベ小僧と同じ目的ながら、環境だけはより良い方向へと引っ張ってくれていた。シャイな Ritchie もそうだったようだね。
リーダーは(二郎さんとしよう)他のメンバーと同じで2つ年上。というより自分だけ2歳下のほうがわかりやすいか・・。この時には既にアマチュアの中でもスペシャリストで「寺内タケシシリーズ」は全部弾けてた。その二郎さんが弾く「寺内タケシの運命(ベートーベンのあれね)」を初めて聞いてから「ギターってすげぇーーーんだ。」と感じたんだな。ギター少年のきっかけはここにもあったんだ。「腕じゃなくてギターの表現力が凄いと思った」んだよ・・。祖母がその先輩の中古ギターを買ってくれた。グレコのSGモデルである。2.5万だったが当時10円以上を祖母に強請った事など無かった私は少々驚いた。でもこのエレキにはアンプが要るんだよ、それは言えずにいたっけ。当分の間、先輩のAceToneアンプ(実はベース3と言って本来はベースアンプなんだ、ギター用に切り替えスイッチとかあったようね)には2本のシールド線が入れられることになったっけ。「何かが自分を引っ張ってくれてる」意識しかなかった。そう、大ステージの最前で歓声を受けてる自分達の姿を夢見ていたものだ。「ジュリー!!!」←ここで当時の女性ファンは失神するのがベターなんだよ。
未知との遭遇 銘々「ハンマーパンチ」
◇バンドは私を含めて4人だった。ギター2、ドラム、ベースの構成で周りにキーボードなんて洒落た楽器などするものも居なかったし、男がキーボードなんて・・・都会人の金持おぼっちゃマンの習い事くらいにしか思ってなかった。沢田研二をやってっても「硬派」なのである(^_^;)。
ジュリーはGSから独立してソロ活動に入っていた。売れたような売れないような「君をのせて」に始まって、火が点いたのが「許されない愛」。片っ端からやっていた。ジュリー沢田は平行して元スパイダース井上尭之(G)大野克夫(K)やテンプターズの萩原健一(Vo.ショーケンだよ)とともにバンド「PYG」を立ちあげる。GS旋風が下火になった中で誹謗中傷も多いバンドだった。確かに男性ファンは純粋に RockSoundの追求ファンが多かったんだが、私が思うに「時期早々」な「スーパーバンド」だったと思う。ちょうど輸入サウンドがバンバン日本中に入ってきた時期でもあるし「まだそんなんやっとんかぁーーー!!ROCKをやらんかい」的な要素もあった。でも好きやった。PYGのレコードから「殆ど」カヴァーした。キーボードパートはリードギター(リーダー)が全部弾いた。そして15歳の時には「町内夏祭」に出演。町営公会堂での初ステージだ。ついに人前に出る機会がきたんだ。祖父や祖母まで来てくれた。格好悪かったアンプは誰かが何処からか借りてきた5ワットのアンプで、パソコン位の大きさだった。寂しいので椅子に乗っけてあげたんだ。そうそう、ギターのシールドコードは定番のカールコードだ。5メートルサイズだから「ぐりーん」って浮遊させるんだ。よく抜けなかったものだと思う。ジュリーの曲と「記憶に無い歌謡曲」、洋楽では「唯一田舎でも入ってきたローリングストーンズの曲を数曲」。5ワットアンプのお陰でベース3の空いたジャックには「マイク」コードが刺さってたんだ。老若男女入り乱れた観客での初ステージは無事終了。翌日より出会う大人達には「楽団しとったんかぁ」といわれる様になったっけ。母上にいたっては未だに「ブンチャカ」としか言ってくれん。、、、バンドとかグループとかロックと言ってくれというのだが「ブンチャカ」としか聞こえないそうな。
PYGの2枚目のLPが出た。「PYG田園コロシアムライブ」−−−これが引き金だった。
ふーん、ライブではこう弾いてんのかとか、ミキシング悪いん??とか。。若いころって評価だけはプロ並みで悦にひたってたっけ。初めて聞く洋楽がそこにはあった。マウンテンの「暗黒への旅路」もこれで初めて知った。単調な構成はコピー少年にはぴったりだ。「ブラックナイト」「スピードキング」この2曲は「とにかくインパクトが強かった」曲のニュアンスが初経験だった。・それまで耳に入ってきたどのジャンルとも違う何かがあった。PYGがやってっても「英語」の歌詞は「英語の曲だろう」くらいは分かった。ジャケットに書いてあるRitchie・・・John・・・とにかく英語に弱いのだ・・。それがコンポーザーの名前だということは後に判明。誰かが調べてDeep Purpleというバンドということが分かった。
情報手段も無かったし、それなりの書籍等買う金も無かった。だいいち田舎には「ミュージックライフ」など置いてない。そんな中、港方面に自転車で徘徊する時が有って「無謀」にも喫茶店に入る事があった。当時中坊が喫茶など行くのは「補導の対象」であり、即刻逮捕も免れない雰囲気があるなかでの暴挙である・。でも「イカシテ」たのですよ、炒れたコーヒー飲むってのが「オトナ」してる気がして。これもロックなんだとね。その港の喫茶店にある「ジュークボックス」に「Deep Purple」が入ったんだ。Black NightというシングルでPYGがやってた原曲だったんだ。「これが・・・本家か・・」 このショックは言葉では現せないな。アーミングといいペンペン音のオンパレードのギターサウンドで育った私には強烈でアグレッシブな音質といい、独自のスタッカート、ファズサウンドだが今まで聞いたのとは明らかに違う・・・そう、ギターとしての表現力がまったく違う。速弾きとか、キャリアや小手先のテクニックとかサウンドエンジニアリングなんていうレベルではなくて「次元」の違うノートがそこにはあった。それは他のメンバーも同じようで「何か新しいものがやってくる」そんな感じがして・・・みんな無口だった。
自分に分かるのはトレモロアームを使ってるな程度、それまではトレモロといえば最後の1小節で「チュュワァァァーーン」と使うものと相場は決まっていたんだ。50円で3回聞ける。ジュース代と合わせて数百円のお金を貯めては通った。最後には何も注文しなくてもジュークボックスだけで居させてもらえるようになった。
ドラムの「せーさん(誠一)」がLPを買ったらしい。(DP in Rock)時同じくしてDeep Purpleを頼りにレコード店へ走った。当時は徘徊手段は自転車しかない。45分も走れば港喫茶の近所に(高原レコード店)があるのさ。45分の半分は上り坂を押してる時間なんだ。Black Nightをとうとう買ったよ。自分のレコードを買ったんだ。ソノシートじゃないよ。喜んでいいのか当時家にはプレーヤーがあった。ステレオじゃない、プレーヤーなんだ。電池がいってさ、モノラルで鞄くらいの大きさだった。ジュークボックスに遭遇するまでは「ベース」と「バスドラム」はレコードに入ってなかったと思ってた・・そのプレーヤーの上に、自分の知らないギターの世界が来たんだ。まだ「DP in Rock」は聞いてない。
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In Rockを初めて聞いたのはバンドのメンバー全員とだった。練習場はドラムの(せーさん)家の納屋2階なんだけど、練習の前に針を降ろした神様の音を聞いたんだ。いきなりPYGで聞いたSpeedkingなんだけど、BlackNightの時と同じカルチャーショックだったな。なんせ歌詞が全然違うじゃないか。歌詞といっても英語が出来たわけではないんだ。当時だれも本当の英語なんぞに慣れてないし、英語歌詞を(日本人)が適当に歌ってるのを(かたかな)に置き換えて聞こえたままを真似してたんだよ。これは現在に至るまでメンバーの特技になってる。(^_^;)例えばね・・・(Blackmore's Night−Shadow of the moon)から(No Second)を例に出すとすればサビの部分はこうなる。
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「かぁむざぃら くら〜いn
のーせーけんしゃうしs ど のぉ〜ごまぁ〜どおー
ざおう びーえでぃーぁえんすーーも〜びぎにもぉ〜
でぃす、はうすはぁてゅげぇーざぁ まい すしゅーでぃ、いんにぃっ ぷれいす
れっすりっすっつ まっちゅお〜ずふぇえ〜
べでぃのぉ〜せ〜くんちぇ〜n〜」
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−どうだ・・聞きながら比べてみごらん、、。こう唄っているじゃないか!
おっと、横道だ。SpeedKingはもとより、次の Child in time のギターソロは2回目の無口状態になったんだ。Richieの突き刺すっていう形容がぴったりのソロだね、当時としてはスーパースピードだったんだけど今聞いてもスピード以外の何かが有るのはみんな知ってるよね。我流で弾きたい様にとかでなくて彼なりの大きなメッセージがそこには感じれたんだよ。戦うギタリストとか言われてるけど正に見えない何かと戦ってたのか、ペンタトニックスケールであんなのないよ。おそらく自己のギタリストとしての表現法の模索からきたチャレンジスケールだったかもしれないね。とにかく斬新で血が踊ったのを覚えてるよ。引き込まれていくんだ。未だにヘッドフォンで聞いてると吸い込まれていくんだ。
そんな中、高校への進学を迎えるのであります・・・・・・・・・・・。

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ここが最後の行です。